(左)昭和56年の火事以前の様子。門は現在の位置と変わらず
(中)梵鐘があったが、戦時中昭和17年に国に奉納
(右)旧本尊眼白不動明王 室町時代頃の作品と言われていた
平成27年に修繕
阿形に同じ
高野山奥の院
灯籠堂に奉納
当時正面は鳥取城に向いていた
よく見れば仁王像も正面に安置されている
当時は正門の正面に本堂があった
年代は不詳ではあるが貴重な写真である
幕の年代より大正時代の写真と思われる
当時は仁王門となっていない証拠である
左側は本堂と繋がっている
上の写真とも違うため年代は違うのが分かる
本堂より位牌堂・庫裏へと
一繋ぎとなっていた
鳥取大火以後正面が現在の向きとなる
火災後の様子
現在の鹿野橋辺りからの写真
宝珠院の並びは焼失を免れる
(鳥取県立公文書館所蔵)
当時には柿の木や欅の木が植えられていました
(鳥取県立公文書館所蔵)
現在の駐車場からの道とほぼ同じ
当時は植樹していた墓が多かった
現在のお墓の面影も残る
宝珠院信者で湖山池参拝前
本堂の正面には仁王像安置
平成の庫裏等修繕前の大師堂
右手は寺務所・本堂に繋がる
青い屋根の上は位牌堂で、
庫裏・大師堂と繋がっていた
1734-1808 鳥取藩医で歴史家
郷土史『因幡志』をあらわした
(鳥取県立公文書館所蔵)
大師堂・庫裏等新築する前は、施餓鬼塔婆は境内に毎年立てておりました。
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